堺ラグビースクール歴史 10周年のお話(記念誌より平成8年)

A…目利きのラグビーファン
B…某堺ラグビースクール指導者

A…まずは、創設十周年おめでとうということで--。
B…本当に長いようで、短かったよなあ。
A…そもそも、堺ラグビースクール創設のきっかけというのは、少年期の多感な 時期にラグビースピリットを教え込むという青少年教育という観点から始まったんだよね。
B…そうそう。当時の堺東署長で、今の名誉校長の善積先生とか、中西校長先生 とかたくさんの人達が意見交換されて、大へん苦心して誕生したスクールな んだ。
A…ラグビースピリットと青少年教育。その通りだよな。数あるスポーツの中で も、ラグビーというのは、プレイヤーの数も一番多いし、コンタクトもハン パじゃない。協調性があって、人の痛みのわかる奴でなけりゃ出来ないスポ ーツだもんな。
B…中西校長が、常々口にされる「ルールのあるケン力」まさに言いえて妙だと思 うよ。これ程、人間性がためされるスポーツは他にはない。
A…同感同感。 ところで、大和川以南、特に堺というところは、「ラグビー不毛の地」という イメージがあるんだけど。
B…そうだよな。実際、市内の中学校にラグビー部が皆無だし。
A…そう、その点が一番重要だと思うよ。堺ラグビースクール創設以前は、中学 校にラグビー部がない為に、高校で初めてだ円球にさわるプレイヤーがほと んどだったんだ。だから高校レベルで、北大阪や大阪市内の高校と戦う場合 かなり不利だったみたいだよ。
B…具体的に堺市内の高校はどうなの。
A…昭和三十年代~四十年代には堺市内にラグビー部のある高校は三校しかなか ったんだ。鳳、大阪農芸(厳密には美原町)、登美丘の三校だったんだけど、中学での経験者がだれもいない中でそれなりに奮闘はしていたよ。大阪農芸 はベスト4になった事があるし、登美丘はベスト8に何度が入り、一度決勝戦 も経験している。
B…その後は。
A…昭和五十年代に入り高校の数も増え、強い学校も増えてきた。金岡、堺東、大商大堺もベスト4、ベスト8に何度が名を連らねている。一番最近では、泉北が去年の全国予選で準決勝に残り、啓光学園に敗れた。
B…でも、壁は厚いよな。
A…そう、その通り。ただ、大げさな表現ではなく、堺市内の高校が花園へということを実現する為に堺ラグビースクールが必らすかかわってくると思うよ。スクールOBの諸君が、中学校では他のスポーツを経験し、高校入学と同時にラグビーに戻り、部内でリーダーシップを発きする。理想だよな。
B…いや、きっとそうなるよ。現在でもOBはがんばつてるもん。中学からラグビー部のある強豪私学に進学した奴らもいるし、高校レベルでも、私学、公立ひっくるめてたくさんのOBが活動している。2年前には強豪私学でがんばって大阪の決勝を経験したOBもいる。大学でも関西AリーグでがんばっているOBもいる。こういったOBを今以上にひとりでも増やすことが堺ラグビースクールのつとめだと思うよ。
A…責任重大だよな。その為にも技術はもちろんだけどもっと大事なラグビースピリット、ラグビーの楽しさを教えてあげたいよな。
B…と同時に、「ラグビー不毛の堺」というイメージをふっしよくしたいよな。
A…「ラグビー不毛」というのは、もうないと思うよ。クラブチームでも堺に拠点を置くチームががんばってるもん。堺東高OBが中心のトロントクラブが関西クラブリーグでがんばつてるし、登美丘高OB中心の堺バーバリアンズも今回、大阪府リーグで優勝、秋の関西クラブ大会に大阪府代表で出場する。創部20年を有に越える古豪泉州クラブも増々元気で他のクラブチームの範となっている。大学では、大阪府立大学、桃山学院大学(近年、和泉市に移転)共にかなり強い--。社会人、実業団でも、古豪堺市役所、新日鉄堺共に復活のきざしがある。ラグビー不毛というのはあてはまらないよ。過去、現在を通して関係者、プレイヤー皆んなの色んな努力の結果が今こうして堺にラグビーの根をおろしつつあるんだ。もちろん、ここ十年の堺ラグビースクールの活やくも含めてね。
B…あとは、市内の中学校にラグビー部ができるのを待つばかりだね。優秀な指導者もいっぱいいてるし。
A・B …市教委の皆さん、よろしくお願いします。

A…さて、創設期、十年前はどんな感じだったの。
B…うーん、色々問題山積みだったみたいだよ。グランドの問題、指導者の確保、生徒の健康管理等等等…。それらをひとつずつクリアしてゴーサインが出たようだよ。
A…ふーん。今、あたり前の様にグランドに来て、練習して、当たり前の様に帰っていく。それじゃあだめなんだよな。生みの苦しみというのを関係者、生徒、父兄全員が、少しでも感じなければ。
B…そう、生みの苦しみ。ぼくらは皆、だれかに世話になってこの世に生きている。ラグビースクールも、皆が共に世話をしたり世話になったりして初めてこの世に存在する。これこそラグビースピリットそのものだと思うよ。
A…ます団体ありき、ますグランドありき、この機会にもう一度ラグビーできる喜びを皆で感謝しつつ喜びたいよな。そして、スクールとしての体さいが整ったあと、小学生にラグビーを教えるという部分での苦労はどうだったの。
B…よくぞ聞いてくれました。そりや最初は手さぐりだったよ。指導陣は皆、ラグビー経験者で、練習に関してはそれぞれノウハウを持っていたんだ。ただ、それをいざ小学生にという部分でだいぶ不安があったのも事実だったよ。でも幸いな事に、大阪には先輩スクールが数多く存在したし、手本には事欠かない情況でもあったんだ。特に初年度は、仲よくしてもらっていた豊中ラグビースクールに指導陣の指導をしてもらいに行った事もあったよ。
A…ふーん、大へんだったんだ。
B…そりやそうさ。一年生スクールとしては必死だったよ。特にケガさせたらどうしようかとか、泣かれたらどうしようかとか…。でも、経験していくとそういう不安もだんだんなくなっていき、何とか、指導陣も生徒もかっこがついてきた。ただ指導方針としてこれというものをまだつかめているわけではないんだ。生徒に教えられる事も山程あるし、日々、これ勉強ですわ。
A…ふーん、奥が深いんだな。
B…そう、たかがラグビー、されどラグビー、それも小学生の–ていう感じかな。まあ、一緒に走り回ってぼくらも楽しませてもらってます。

A…ラグビーといえば、夏合宿なんだけど。
B…うん、初年度から実施したよ。初年度はお世話になっているダイキン工業さんのグランドと福利施設をお借りして行ったんだ。ケガや病気、環境の変化に対する子供の変化、全てに対してのケアとして清恵会病院が24時間体制で助けてくれた。その後十年合宿は、天理、ハチ北、神鍋、美作と変わったけれど、その体制はずっと変わっていない。本当にありがたいことだよ。
A…ふーん、で、合宿でのせいかというのは。
B…うん、合宿というのは、強化するのがもちろん第一目的なんだけど、それ以外にも色々な長所があるよ。親元を離れて共同生活を行なうという事は、小さい子供達に協調性、責任感、忍耐カーそして何より素晴らしい友情をはぐくむという利点があるんだ。強化という面では一目りょう然だね。合宿を経験するのとしないのとでは秋の仕上がりが全然ちがう。
A…へぇー、小学生レベルでもそんなもんなの。
B…うん.去年、堺ラグビースクールは、例のO-157の余波をうけて夏の一番大事な時期の練習、夏合宿を中止したんだ。その結果、秋のスクール大会では、他スクールとせった時にその差が出たみたい。生徒はがんばっていたんだけど、ここという時に走れていなかった。かわいそうだった。
A…合宿って大事なんだなあ。
B…そう、男の子が一しゅん男の顔になるのが分かるもんなあ。

A…大会の話が出たけど、成績の方はどうなの。
B…うん、大事な大会は三つあるんだけど。南大阪大会、ラグビーカーニバル、スクール大会。一番の公式戦は毎年十一月三日に花園で行われるスクール大会なんだ。各スクール共この大会に向けてピークを持ってくるんだけど。
A…ずっと参加してたよね。
B…うん、最初は、こいつら試合出来るんだろうかと思っていた子供達もそれなりにラグビーしてくれて目茶苦茶うれしかったのをおぼえているよ。成績の方も毎年それなりに、優勝した学年もあったし、悪くないんじゃないかな。ただはつきり言える事は、人数の多い学年はチーム内の競争も激しく大会でも必らず結果をを出してくれてたよ。勝ち負けが全てしゃないんだけど、勝って得る事、負けて得る事も必らずあると思うんで生徒達にもあえて勝負にこだわって欲しいと思うんだけど…。
A…何が問題あるの。
B…うん、さっき人数の多い学年は強いといっただろ。3チーム作れる人数がいたとしたらあえてA・B・Cに分けないといけないんだよ。能力の高い子をAに集めたら強くはなるんだけどB・Cが手うすになり、きょくたんにチーム力が落ちてしまうんだ。かといって能力の高い子を分散させても差が目立つ事が多くて、みんな楽しくなさそうなんだ。子供のラグビーにそこまでしていいものなのか。高校以上の一本目、二本目という区別がはたして必要なのかというかっとうがいつもあるんだよ。全員の力を底上げ出来ないぼくらに責任があるんだけど… 。
A…御父兄の期待とか…。
B…そう、別に父兄の為にラグビー教えてるんじゃないけど、それなりに期待されてる方もいるだろうし、目が気にならないと言ったらウソになる。ただ、子供達の口からオレはBチームや、ボクはCチームやということばが出た時、すごく複雑な気持ちになる。AもBも関係ないんやで。全部ひっくるめて堺ラグビースクールのチームやねんでと言ってあげるんやけど…。ただ、Bチームのつき上げのきつい学年程、Aチームの伸びもすばらしい。Aチームがそこそこ強いのは、Bチームのおかげ。これだけは確実に言える。ゆえに、人数の多い学年はかなり強くなるというわけ。くりかえしになるけど日々、これ 勉強させてもうてます。
A…気にせん方がええんとちゃう。
B…うん、基本的には気にしてないんやけど、大会が近づくとどうしてもチーム分けせんとあかんし毎年毎年悩んでる事なんで…。でも、ぼくら指導陣にとっては、AもBも関係なし、みんな素晴らしいラガーマンで、ずっと続けて欲しいという期待を持って接しているから、皆んな与えられたポジションで一生けん命がんばって欲しい。だって皆んな仲間やねんから。
A…うーん、やっぱりスクールというのはむずかしいなあ。
B…そうでもないよ。

A …ラグビースクールの主役というとちびっ子プレイヤーだが、子供達について どう。
B…イギリスのことわざに「ラグビーは少年を男にする云々…」というのがあるんやけど、まさにその通り。いつも泣いてた子供が、工グいタックル平気でいったり、引っ込みじあんだった子が、大きな声でラインの指示をしたり、そりやびっくりする変化にいっぱい出くわすよ。
A…いい意味でラグビーにはまってくれてる。
B…うん、そうやと思う。やらされてるという部分は子供やからある程度あると思うけど、いざグランドに立ったら自分でガンガン行ってるもんね。あれには頭が下がる。それと低学年、高学年を問わず、試合に負けてピッチから出てくる時に涙を流している子供がいる。無茶苦茶、不機嫌になっている子供もいる。程度の差こそあれ、敗戦から何がを感してくれている。これには感激させられるよ。勝ったゲームでのうれしそうな笑顔も素晴らしいけど、敗戦時の涙にグッときてしまう。さっきのチーム分け、勝ち負けへのこだわりに通じるんやけど、やっぱりこの一しゅんの為に勝ち負けにこだわりたい。Aチームが負けた時にBチームの奴が泣いていたこともあるんやで。
A…へぇー、素晴らしいなあ。
B…そう、素晴らしい、最高。そういう気持ちをずっと持ち続けてほしいなあ。
A…卒業生はどうなの。
B…うん、ラグビー続けてる奴もげつこういるし、やめた奴でも街で出会ったら あいさつしてくれる。 うれしいもんだよ。指導者みょうりにつきるよ。
A…いつまでもいい関係を続けたいよな。
B…その通り。

A…最後になったけど十 一年目以降に向けての抱負とかは。
B…うん、十周年を迎えたということで、他スクール等からの見方は変わってくるかもしれないけど、組織としてはまだ暖気運転が終わった程度やと思う。指導陣としても、あれをやってみたい、これもやってみようかな、あれはやめておこうという選択が出来るようになったレベルだと思う。これからも初心を忘れず、子供達と一緒に走り回れることに感謝し、生徒、父兄、指導陣の三位一体のスクラムを今以上に強力にして十五年、二十年に向けてがんばりたい。
A…がんばってや。目利きのファンとしても、堺ラグビースクールのOBが高校、大学、社会人、クラブと色んなグレードでがんばってるのを見るのが楽しみ。ゆくゆくは代表チームのスコッドに入るプレイヤーの出現を期待してるよ。
B…うん、そして、それ以上にOB全員がラグビースピリットを持った素晴らしい大人になってくれる事もね。
A…そう、それが一番大事な事やね。
--文中 敬称略--